放蕩ドラ息子の布団上の空論

大学生活で何も成し遂げられず、親の脛をかじり続けた世の消費者代表。日々消費したコンテンツの批評、ベッドの上で寝転がりながら思考した愚物を、なんの説得力もない男が投稿していく、お目汚しブログ!知り合いの方は話のネタに。そうでない方は、いつか暇つぶしに。

ヨルシカ「ノーチラス」にて②

ヨルシカは明日で全4作のアルバムを出しています。


そのうち最初の二つは、『「死」を繰り返し、輪廻転成しながら何度も出会い、別れる男女』と、『夏』をコンセプトに描いています。


Na-bunaの描く「夏」は格別ですよね。ウェイな夏の側面ではなく、夏の儚さ、季節としての美しさに全振りされてて、僕の性癖に緊急治療が必要なくらいブッ刺さってます。


一曲一曲は基本的に独立しています。たまに「言って。」のアンサーソングとしての「雲と幽霊」であったり、この二曲の間の、「靴の花火」出会ったりするわけですが。


ここでも面白いのが、物語は違えど、どの楽曲にも共通のモチーフを用いて「夏」を表現しているのが、ヨルシカの曲の世界観を安定させていますよね。「夏のバス停」とか、「カトレア」とか。素敵よね。


おんなじ世界観だから、男女は何度も生まれ変わって、同じような季節に同じような場所で出会っているのかなぁとか、想像が膨らんで楽しい。


そして、その輪廻転成し、何度も繰り返す出会いの一つとして、のちに二つのアルバムが発売されます。

昔音楽を辞め、ヒロインに出会いもう一度始めたが、酷く思い悩み旅に出る

「だから僕は音楽をやめた」

そして、旅先から届いた主人公の手紙を読んで、そのアンサーソング達として描かれた「エルマ」です。


ここでは、①で述べた主人公の音楽に対する芸術観が爆発しています。彼の悩みは主に3つです。


・金儲けのため、売れるために音楽を作るのは芸術ではない。

・彼の元から突然いなくなったエルマ(ヒロイン)を忘れないように音楽として残したいと思う反面、現実の模倣であってそれは音楽という芸術に即していないのではないか。

・彼女を忘れないために音楽に残しているのに、残ったのは結局音楽だけで、彼女の顔や匂いをどんどん忘れていくことを止めることが出来ずただ生きていることの苦しさ



この3つですね。本当にめんどくさい。が、こういうめんどくさい頑固な奴が、なぜか人に響く天才芸術家になるんですよね。不思議。


最初のアルバムでは、この三点について、物語に添いながら語られていきます。


大まかに述べると、エルマもいなくなり、音楽への葛藤から生きがいを感じれなくなった主人公は、バイトを辞め、貯めたお金で旅に出ます。半年という期間を設け、旅先で真剣に最後音楽に、エルマに向き合い、彼女に最後の手紙を残し、自殺しようと試みます。


いささか早計過ぎないかと思うのですが、これは彼の美学に27クラブがあるのでしょう。有名なロックスターは27で皆自殺事故他殺で亡くなっています。ここにあやかり、綺麗に散ろうと考えたのですね。


旅先についた主人公は、小さな部屋を借りて曲を作り、手紙を書きます。しかし心は全く晴れません。彼女の不在を鮮明に自覚し、音楽への自分の不誠実さを自認しました。


彼は思いつめます。

「稚拙でも、艶のある衝動が感じる作品こそが本当に良い作品だと。だから、本当に音楽が楽しかった初期衝動の2、3年で自分の音楽は終わってしまったのだ。それでも思うように作れず、かといって現状を打開する心意気もなく、目標となく、ただだらだらお、漫然と、鈍重な動きで芸術をさの真似事を続けていた。ブレーキの壊れた自転車を漕ぐみたいに。」


文字を書くときに使っていた「花緑青」という人口塗料も切れ、旅先で自分の音楽という芸術に本気で向き合えない不甲斐なさを実感しながら、旅は終盤へ。


彼はヘンリーガーターという創作家を思い出します。

ヘンリーは60年以上にわたって、ワンルームのアパートで一人で物語を書き続けました。誰にも見せるわけて間も無く。彼の死後、そこには1万5145ページの小説原稿と、数百枚の挿絵がありました。それは今でも、単一てまは世界一長い長編小説です。


主人公は、創作家は皆ヘンリーであるべきだと考えています。

名声や、金や権力なんてどうでもいいはずで、ただ無欲に純粋に、本当に自分の為だけにものを作れる人間であるべきだと。それと比べると自分のしてきたことなんてただの倒錯だ、ただ他人に認められたいという理由しかなかった。


「どうしてあいつがと愚痴を垂れ、妬み嫉みを原動力に創作を続ける。この自分の音楽への在り方は全くの間違いだったんだ。そういうことが漸くわかったんだ。僕のしてきた生き方が少しも正解を掠めないものだった。」


エルマをうまく描くこともできなくなり、音楽も分からなくなり、それも全て、君がいなくなったせいだと、虚しい八つ当たりをしながら旅に飛び出した主人公。その死の淵で、最後の思考を巡らします。


旅先で描いた曲達は、旅先で見たもの、感じたもの、思ったもので構成されている。初めて、芸術と呼べる作品を作れた。彼は言います。死を選ぶのは音楽への絶望でも、人生への見切りでもないと。だらだらと惰性で続く物語は美しくない、それは人生も同じだと。僕自身の物語の結末を書くならそれは音楽しかない。それがこの度で作られた曲達なんだと。僕を象った作品なんだと。


「今までピアニスト、小説家、音楽、様々なものに妥協してきた、妥協の連続が自分の人生であった。そんな暗闇のような人生の最中、エルマに出会い、彼女の詩に触れたとき、そこに月明かりを見たんだ。」


そして、彼は夕陽の差す浜辺で自ら命を経ちました。


根幹のみに触れ、ほとんどはしょりましたが、これが一作目ですね。それでも長くなってしまいました。

2作目の「エルマ」に関してはとうとう明日!発売です。楽しみ。


次でやっと、次作に収録される「ノーチラス」について考察という名の感想を述べていこうと思います。